2018/9/1 ベスト9月号 巻頭言を掲載しました
努力が報われる改革を
~自分の人生をどう生きるか~
株式会社日本公法 代表取締役社長 麗澤大学名誉教授 元中国管区警察局長 元警察庁教養課長 元警察大学校教官教養部専門講師 大貫 啓行 |
若者に、将来への見通しの悪さ、閉塞感が高まっているという。そこで、前向きになれるようなヒントを書いてくれという執筆の注文を受けた。実に気の乗らない注文だ。
結論は単純だ。どう生きるかは自分で決めるしかない、ということ。見通しの良し悪し、閉塞感の有無などは関係ない。甘えを脱して考えてみるべきだ。どう生きるか?全て、あなたの決断にかかっている。
若者の記憶の中には、社会全体に将来展望の悪さが目立つのは確かだろう。若者を取り巻く社会は、少子高齢化、シャッター街、20年以上のデフレ、就職氷河期、下流社会。確かに暗い話題に満ちている。
テレビや新聞には暗いニュースが満ちているのは当然のこと。ニュースというのは最初からそういうものだ。大変だと言わなければニュースにならない。注目を浴びるには、ショッキングなことを大げさに取り上げるしかない。
昭和の時代、現状は貧しくても将来展望だけは明るかった。明るいのは、将来見通しにしかなかったのだ。みんな将来の幸せを信じて頑張った。それはそうだ。どうしようもないほど貧しかったのだから。そうするしかなかった。悩んだり迷ったりする暇がなかったのだ。
しかし、今はそんなに悲観しなければならないほど暗いのだろうか。
生活していくには十分な物資に満たされている。周囲を見渡してみれば、衣食住はほぼ足りている。国民の大部分が、先人が憧れた豊かな暮らしを手にして、ぬくぬくと過ごしているではないか。基本的には満足しているのだ。だから、ぶつぶつ不満を言うゆとりができているのだ。地球規模でみれば、飢餓に悩む人が10数億人いるというのに。
大学をみれば、さして学びたいという意欲もないままに、バイトや遊びに明け暮れる学生に満ちている。そりゃそうだろう。勉強の好きな若者がそんなにいるわけがない。少なからぬ若者が自分たちは不幸だと不満顔なのがそもそもおかしいのだ。
卒業し社会に出た若者は、仕事に不満が少なくない。曰(いわ)く、「処遇が悪い」、「自分に合わない」、「将来展望がない」という。挙句は、将来展望がないので結婚できないとも……。30過ぎても親元にとどまり世話をかけている人も少なくない。
それなのに、彼らへの助言をして欲しいというのだ。気が入らない。
私の答えは、ほっておくしかない。自分の生き方は自分で決めるしかない……というだけだ。所詮、自分で考えて生きるしかない、ということ。みな、奇跡のような生を受け、それぞれの命を生きている。それをどう生きようとそれぞれの勝手。
アドバイスはないのか?
確実に言えることは、時間は有限だということ。気が付けば時間は過ぎ去るのだ。平等に与えられた時間。それをどう使うかは、各自の自由だ。そしてそれを決めるのは自分自身なのだ。
自分の有限の人生をどう生きるか?じっくり考えることだ。
我が国社会全体の過保護さが、活力を削いでいるのではないだろうか。警察社会も過保護になってはいないか。昇任試験を厳格に実施する。昇給は昇任との連動性を高める。努力が報われる方向への改革をすべきだ。何事も努力すれば報われるという原則にしなければならない。そういう改革を皆さんはどう考えますか?