ベスト9月号 巻頭言を掲載しました
駐ペルー日本国大使公邸占拠事件
~現場主義の習慣~
株式会社日本公法 代表取締役社長 麗澤大学名誉教授 元中国管区警察局長 元警察庁教養課長 元警察大学校教官教養部専門講師 大貫 啓行 |
今月も、先月に引き続き昔話になるが、しばしお付き合いしてもらいたい。
1996年、30年間程の警察官生活に終止符を打ち、大学の教壇に立った。念願の二十歳前後の若者への法学、政治学を担当。警察官僚生活とは全く違った経験に張り切っていた。次第に新聞や週刊誌などのマスコミから治安関係評論家として様々な原稿や講演の依頼が増え、警察との縁は切っても切れないと覚悟し、一般の方々に警察の考え方を伝える通訳かつ応援団のような立場を担いたいと考えるようになった。
退職直後の1996年12月17日、駐ペルー日本国大使公邸で催されていた天皇誕生日祝賀パーティーに、けん銃や手りゅう弾で武装した14人のゲリラが乱入する事件が起きた。居合わせたパーティー参加者など約600人が人質になり、世界中の注目が集まった。人質の多さは、逮捕された仲間の釈放を狙ったゲリラ側にも想定外だったのだろう、最初に女性を中心に200人程を解放した(フジモリ大統領の母親も初の解放に紛れていた。)。その後も解放は続き、次第に人質の数は減って行ったが、ペルー警察隊の突入(1997年4月22日)によって最終解決するまで約4か月かかるという長期戦であった。
私は、居ても立ってもいられなくなり、2月初旬、大学の学年末試験終了を待って、現地に駆け付けた。現地に足を運び、直接、自分の目で見るという警察官として習慣となっている「現地主義」は、退職しても容易には変えられないことを痛感したが、退職直後であったことから、現職の皆さんの邪魔にならないように、警察とは一切別ルートの行動をとった。現地に行くことで初めて知り得ることは少なくない。このペルー大使公邸襲撃事件でも、そうした思いを確認させられた。特に、警察と異なる視点で事件を見ることは得難い体験だった。今後の教訓となることを何点か紹介しておきたい。
まず、我が国は、伝統的に人質の安全を最優先する。ペルーのフジモリ大統領とカナダのトロントで会談(1997年2月1日)した橋本総理も、おそらくこのことを強く要請したに違いない。この方針は、ペルー側と必ずしも合致しなかったのではなかろうか。当時、ペルー側は大使公邸へ通じるトンネルを掘っており(突入時には7本完成)、突入は我が国への事前連絡なく行われたという。
我が国のマスコミの過熱ぶりは尋常でなく、某テレビ局はゲリラ犯人側と接触してその言い分を報道し、各方面から非難を浴びた。人質拘束の長期化につれて、マスコミの多くは、人質の精神的な限界などを声高に報じるようになり、結果的に我が国やペルー当局への非難を強めた。こうした姿勢への、ペルー当局やアメリカ当局の批判・不満は少なくなかったであろう。退職していたからこそ得られる感触なのかもしれないが、我が国の特異性は、国際社会において留意が必要と感じた。
次に、我が国のマスコミは、熱するのも早いが冷めるのも早い。現地でも、私にいくつかのマスコミから接触があった。大使公邸を見下ろせるビルの屋上などに拠点が設けられており、私もそうした拠点を見せてもらった。拘束の長期化に伴う国内のマスコミの高揚ぶりはすさまじく、特殊部隊の強化、各種特別法の制定など勇ましい論調もにぎやかだったが、結果的に日本人人質が全員無事だったことから、「めでたし、めでたし。」で終わってしまった。我が国のマスコミのご都合主義はいつものことだが問題は多い。
最後に、情報収集についてである。ペルー当局やアメリカのCIAなど各国機関との間では、密接な協力関係があったであろう。しかし、現地において警察とは全く別道の行動をとってみると、情報収集の手段・機会は予想以上に多様・広範なことが分かった。
関係者に支障があり得るので具体的には明かせないが、現地警察当局への人的関係はかなり有効だった。勤務先大学では、ペルーからフジモリ大統領の推薦による留学生を無償で受け入れており、卒業生には現地のJICA拠点に勤務している者もいた。また、現地に勤務する友人もいて、そうした人を通じた現地の警察や軍内部の情報が入り得たのである。
様々な法的問題もあり慎重さが求められるが、少なくとも公式の情報では得られない情報が得られる可能性は、結構存在していた。地域によっては、情報は買い得るものである。
教訓とすべきは、必要な法律(案)は早めに準備し、世論の理解を得るべく最大限の努力をすることはもちろん、場合によっては、マスコミや世論の動向を見極めて制定するタイミングを選んだり、情報収集の手段・機会を適切に利用したりするなどのしたたかさが必要だということであろう。我が国のSATは、大使公邸の模型などで突入想定の訓練などを実施したが、出動はなかったのである。
これから増加していくことが想定される各種国際協力についても、これらの教訓を活かした備えをすることが肝要である。