巻頭言

2020.03.01
巻頭言

ベスト3月号 巻頭言を掲載しました

東日本大地震の衝撃
~伝えたい思い出の教訓~

株式会社日本公法 代表取締役社長
麗澤大学名誉教授
元中国管区警察局長
元警察庁教養課長
元警察大学校教官教養部専門講師
大貫 啓行

 東日本大震災は、私がこれまで経験した中で群を抜いて大きな自然災害だ。川崎市役所で危機管理アドバイザー(非常勤特別職)の任についており、週一回の出勤日に、危機管理室内の執務机で大きな揺れに遭遇した。ゆ~さ~といった長周期波の異様な揺れは、今でも忘れられない。
 私は、とっさに机の下に潜り込んだ。普段から、そうするようにと、講演などで繰り返してきた当人として、危機管理担当職員の前ではそうせざるを得なかったというのが本音。危機管理室の勤務員で机の下に身を伏せた人は、私のほかに誰もいなかった。皆、どうしようかと互いに顔を見合わせていた。照れ臭かったのだろうか。繰り返し、繰り返し、習慣になるまで訓練しなくては、マニュアルに書かれた動作は守られない。
 異常に長く続いた大きな揺れが収まってから、被害状況の把握など忙しい一日が始まった。幸い、私は当夜、市役所周辺のホテルに泊まることができた。危機管理室が通年で確保していた一室を、最年長だった私が使用する恩恵に浴させてもらった。そうでもなければ、机に伏せての仮眠だったろう。ホテルはどこも満員。帰宅困難者を収容する施設確保が市役所の最初の仕事だった。3月11日、駅前のビルのホールや駅の地下街などで寒い夜を過ごす帰宅難民に毛布を配るのがやっとだった。非日常業務には機転が求められる。職員も本当は素人だ。
 特記すべきは、川崎市が決めた市バスの終夜運行である。これは、深夜家路を急ぐ帰宅難民にとって好評だった。川崎市の主要ターミナルまでたどり着けば、バスが走っている。深夜のラジオ放送で繰り返し流された。非常事態下では、こうした安心を呼ぶ情報が有益だ。疲れと不安が思わぬ事態につながりかねない。
 夜になって、市役所の屋上から、東京湾の対岸に上がる大きな火炎が見えた。市原辺りのタンク群で立ち上がる火炎であった(タンク周辺のパイプから漏れた石油に引火したもの)。がっしりできたタンク本体ではなく、それを支える支柱やパイプなどが弱点になってしまったようだ(柏崎原発で非常連絡用の緊急電話が使用できなかったのは、ひずみでドアが開かなかったことが原因だった。万全の想定での設計も、付随物などの思わぬ想定外の躓きが起きがちなことは教訓とすべきだ)。
 テレビでは、津波に襲われる驚きの映像が繰り返されていた。ところで、我が国で流された映像では、流される車は映しても車内の人物はカットする、というような加工・配意がされていた。凄惨な殺人現場も放映されない。我が国は、平和でほんわかした空気に満たされている。危機管理の必要性を感じさせるのには、向いていないかもしれない。
 国民性だから、その良し悪しは言いにくい。しかし、諸外国との違いだけは認識しておくべきだ。外国では、流される車の中の人物の姿が映されていた。日本の津波の恐ろしさが、世界中の人々に深く印象付けられた。我が国では、時の経過とともに、早々、忘れ去られがちだ。
 翌日にかけて、特別消防隊の派遣などで忙しかった。福島の原発に派遣される隊員を見送った。未曽有の原発事故現場に向かう隊員の悲壮感が、見送る側にも共有された。
 翌日から液状化の被害の大きかった浦安市、津波に襲われた旭市への被害現場視察を手始めに、一週間ほど後には、甥っ子の住んでいた仙台市に入り、宮城県亘理町から松島、石巻、女川、南三陸町、気仙沼から釜石と海岸に沿って車を走らせた。危機管理を専門とする立場から是非とも現場を見たかったのだ。「何事も現場から」をモットーにしている長年の習性のなせるところだった。
 現場で一番印象深く目に飛び込んできたのは、防波堤や岸壁が海面に沈んでいる光景だった。大震災では地盤が沈下する。防災において前提としている足元の地盤すら簡単に変わるのだ。これは理屈抜きに驚きだった。1~2メートル地盤が沈んだら、海岸も低地も海となる。そのうえ、津波は防波堤や防潮堤を破壊し去っていた。全てを飲み込んだ被害のさまは、様々な映像で全世界に流された。特に車で避難した人に被害が多く、非常時の避難では、現場の具体的な状況での判断が生死を分けることを実感した。

 仙台市や周辺地域での建物被害も大きかった。甥っ子は高層マンションで被災した。室内の家具は倒れ、壊れた食器などが床に散らばった。ジェットコースターに乗っているような感覚だったそうだ。余震の続く中、壊れずに残った食器などは床に並べられていた。余震が恐ろしくて高いところには何も置けないのだ。風呂は数週間使えなかった。住民は、町内会での炊き出しなど、お互いの支えで耐えていた。公助に頼らない互助の大切さを実感した。

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